かつて私はかなりの怖がりだった。
かつて、と言うからには今はだいぶマシになったということだ。
小学校の帰り道、友達からトイレのおばけの話を聞いた。
選んだ個室の色によっておばけが違い、私は緑を選んだので葉っぱのツルで締め付けられる…ような内容だったと思う。
実は話の内容はうろ覚えなのだが、晴れた日だと言うのに友達の語り口が妙に怖かったせいか、今でも忘れられない。
夜中のトイレはもちろん、好奇心に負けて小学生ならではの怖い話もたくさん見聞きしたが、成長するにつれ「怖ければ最初から聞かなければいい」という実に合理的な結論に至り、『怖い話は無理』と、人付き合いよりも己の保身に走るようになった。
ある日、そんな怖がりの私に救世主が現れた。
地域のタウンニュースを手がける小さな会社でアルバイトをしていた私は、ひと回りくらい歳上の女性に『二十歳までにおばけを見なければ、その後は一生見ないのよ』と言われた。
その言葉に真実味があるかどうかは関係なかった。
二十歳そこらだった私は本当に救われた。
その言葉を胸に刻み、「私はもう絶対におばけを見ないのだ」と信じることができたのだった。
そして更に歳を重ねた今、おばけとか地球外生命体を怖いと思わなくなってきた。
良くも悪くもたくさんの人生経験のおかげで「おばけより生きている人間の方がよっぽど怖い」と言うのが身に染みる。
「この宇宙には様々な生命体がいる。目に見えない存在や、テレパシーで会話をする存在もたくさんいる。」と書かれた本にも出会い、
「そうだ、こんなに広い宇宙に知的生命体が人間しかいないわけがないんだ!」となんだか妙に納得したのだ。
科学的根拠がないと世間から認められない風潮がある一方で、科学的根拠が全てではないと思う。
「おばけ」や「地球外生命体」と呼ばれる存在も、本に書かれていたように案外その辺にウロウロといるのかもしれない。
それでも時々何もないところで「カタッ」と物音がするとたじろいでしまうのは、三つ子の魂百まで、なのだろうか。

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