のらりくろりと、つむり

イラストレーター・イラスト刺繍作家ukamの頭(つむり)の中のおはなし

私流、美術館の歩き方〜もったいないからってじっくり見てた〜


これまでは美術館に行くと、時間をかけて一点一点を丁寧に観ていた。

「この色の重ね方が良いな」
「こんなに細かい線をどうやって描いたの?」
「こういう構図で描くのもアリなんだ」

と、いかにも知的に、美術のことをよく分かってる風に。

だって私、美術部部長だったし。

それはつまり「せっかく高いお金払ったんだから、じっくり観ないともったいないよ!」という気持ちの表れでもあった。

そして何十枚と撮った写真を見返すことはほとんどなく、年月が過ぎたらゴミ箱フォルダ行きだ。

この夏は珍しくハイペースで、1ヶ月の間に3回も美術館へ行った。

猛暑の中、美術館の涼しさが本当にありがたかった。

入館料というより涼感料を払っている気持ちが強く、いつもより「しっかり観よう」という気持ちが薄かったように思う。

混雑している箇所はさらっと見て、「これ好きだな」と思う作品だけをじっくりと観て行った。

その結果、いつもよりずっと心に響いたのだ。

「こんなに自由でいいんだ」
「考えて考えた先がこの表現だったんだ」
「描いて描いて描いたらこうなったんだ」

技術よりも作者の思いが伝わったような気がする。

小さい時から絵を描くことが、たぶん好きだった。
でも半分くらいは「絵がうまいね」という周囲の言葉に引っ張られていたのかもしれない。

成長するにつれ、自分と周囲を比較する。
美大を目指す友人をうらやましいと思いつつ、自分にはその勇気がなかった。

先生に勧められた経済学部を目指す気にもなれず、私が選んだのは生活や暮らしに関わる美術やデザインを幅広く学べる学科だった。
広く浅く…悪く言えば中途半端な私にぴったりだった。

それからデザイン系の仕事を転々とするも、一度染み付いたコンプレックスはなかなか取れない。
デッサンの基礎もできていない、美大で学んだわけでもない自分の技術の無さを常に他者と比較していた。

今回の美術館巡りで、技術を見るのではなく、作者の「描きたい思い、創りたい思い」が見えた時、自由な表現の世界に足を踏み入れるのをやっと自分に許すことができたように思う。

思うように、好きに描けばいい。
そんなシンプルなことに、30年近くかかった。

ようやく見つけた私流、美術館の歩き方。
これからもたくさんの作品と出会い、私が描く「自分の作品」をもっともっと好きになっていきたい。

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